初めてJ2に落ちたときに感じていた違和感がメディアなどに”名門磐田”などといった紹介をされていたことだ。
磐田よりも強いクラブが少なくとも18いるのに、名門ってなんだ?という違和感があり、そういった紹介をされるたびにモヤモヤするものがあった。
上のリンクで磐田の歴代の成績を見ると、97年~2003年あたりがいわゆる”黄金期”と呼ばれる時期のよう思える。
この時期は2001年を除けば、何かしらのタイトルを獲得している(ステージ優勝は含めず)。
ただ、2004年からはタイトルとはどんどん無縁のクラブとなっている。
2004年からサポーター(以下サポ)になり今もサポであれば、すでにサポ歴16年とコアサポと呼ばれる年数である。
そんなコアサポという位置付けに入るであろうサポですら、ほとんどタイトルとは無縁という年数を重ねている。
なので、磐田が強いクラブだという認識はそこまでないのでは?と思う。
「黄金期は本当に強かった」という話は耳に入るが、それはしょせんJリーグに参入してから26年間のうちの7年間の話にすぎず、他の時期は強くもなんともないJ1の中堅クラブなのではと思う(今やJ2だが)。
さらに言えば、黄金期のリーグ戦のレギュレーションは2ステージ制で、1ステージ制のシーズンと強さの比較するのは難しい。
97年は1stは6位だったり、99年は2ndが12位だったりしている。
チャンピオンシップで勝つことで、一応年間王者という位置付けにはなるが、1ステージ制の優勝と価値を単純に比較するのは非常に難しい。
磐田はそんな今のレギュレーションとは違う時代の亡霊と戦い続けている。
数々の栄光を取り戻そうとしている。
しかし、果たして7年間の栄光時代は磐田のクラブに見合ったものだったのだろうか?
細かく書くと長くなるので書かないが、当時のような選手を揃えるのは磐田の経営規模としては厳しいし、A代表に入るレベルの選手は国外にいることが普通という時代になってしまった。
若手だと、A代表に入っていなくてもオファーが来る時代になってしまっている。
当時の磐田は、質の高い選手が多く、かつ長い期間いっしょにプレーしていたと聞く。
今の時代それをするのは非常に困難だ。
だが、磐田はそういう方向性の戦い方に戻した。
しかも、それを選択したのは黄金期の監督であり、当時ピッチ上に選手として立っていた人だ。
歴史は大事だ。
黄金期の成績は素晴らしい。
しかし、もう黄金期のことなど知らなく、それ以降の”特別強くない”磐田を好きになったサポも存在している。
今は昇格をしないといけないクラブという位置付けだが、忘れてはならないのが今やJ3というカテゴリーが存在し、結果を出さなければJ3に落ちてしまうのだ。
磐田以外のクラブで、変化をしよう(しないといけない)という意思を感じるクラブも増えてきた。
そんな中、磐田は過去の成功体験の再現を狙っている。
どちらが成功するかは断言はできない。
だけど、私は磐田というクラブはこのままゆっくりと衰退していくのでは思ってしまう。
そうなったときに”名門”クラブはどうしていくのか。
プライドを捨てて、新たな挑戦をしていくのか。
過去の栄光を再現するまで掘り続けるのか。
それがわかるのはもう少し未来のお話。
<おわり>