戦術によるチームの強さの影響とは?

内田篤人.jpg 「442にしかシステムのパターンはない。かといって442の戦術の完成度が高いのかといったらそうでもない。しかし、結果は残す。」 これが私の鹿島に対する印象だ。 「なんでこんな戦い方なのに勝ててしまうんだ。」と思ったことも1度や2度じゃない。 選手のインタビューなどで、強さの秘訣を問われると「練習から厳しい」「勝つことを一番に考えている」など「どこもそうじゃないの?」と思ってしまうような回答が多いのだが、たぶん鹿島は他のクラブに比べるとそこの部分で抜きんでているのだろう。 そんなことを思う中、興味深い記事が流れてきた。 これが今季のスタンダード。これから勝つために必要な勝点1/【レビュー】明治安田生命J1リーグ第2節 川崎フロンターレ戦
しかし、いまのチームは赤ん坊も同然だ。いま目の前で戦っているチームはアジア王者に輝いたチームではない。鈴木優磨もいなければ、三竿健斗もいないし、昌子源もいない。大黒柱だった小笠原満男がチームを去り、どうやって戦っていくべきなのか手探りでよちよち歩いている状態なのだ。それまで何年もかけて鎖で連環してきた阿吽の呼吸はほぼ消え去り、これから新たに築き上げねばならない真っさらな状態になっている。大分との開幕戦はそれを知る戦いだった。鹿島を支えるのは戦術ではない。そこについての是非についてはもう論議しない。現実を受け入れなければならない。選手同士の息が合わなければ戦えないのは事実だ。それでも、2連覇中のリーグ王者から勝点を拾わなければならなかった。そこでもし負ければ、本当に計り知れないダメージを負いかねない状況だった。湘南、札幌と4連敗を喫してもおかしくなかっただろう。
鹿島専属の記者が「鹿島を支えるのは戦術ではない。」と言い切ってしまっている。さらにキャプテンのウッチーからもこんな証言が。
「チームとしては今日のテーマは忍耐というのはあったと思う。まわされて、自分たちから取りにいってスペースを使われるくらいなら、カチッと守って守ろうと思えば鹿島はたぶん守れると思う。それを変にプライドを持ってね、『はい、じゃあ取りに行こう』ってやったらやられると思う、いまは。俺がいた昔はやっぱり一人一人がサッカーを知ってたもん。昔の人の中盤、特に黄金世代。特に戦術はなかったけど、あの人たちが時間と相手チームとチーム状況を考えて勝ってきた。でも、いまはみんなまだ若い。裕葵も若いし町田、ワンちゃん。レオとかスンテとかやってくれる奴はいるけどポイント、ポイントで見たらポテンシャルはあるけどまだ若いし昔の方の人たちの方がサッカーを知ってた。そのなかでオレみたいな奴が声を出して粘れるところまでいけば、ポテンシャルはあるから。そっからはあいつらの技量に任せる感じはあるね」
今も昔もスタイルとしての変化は特にない。となると今の選手に求められるのも状況に応じて柔軟に対応できることなのだろう。サッカーを知っている選手をどれだけピッチ上に存在させられるのか。それが鹿島の強さの秘訣なのだろう。 昨日書いたJapan's wayの記事ともリンクする部分があるように感じた。 鹿島の強さというのは質の高い個人を揃えて、選手が状況に応じて対応する。それは、システムや戦術という枠組みに縛られたものでなく、あくまで個人の考えを一致させるかなのだろう。そういうことができる選手が”サッカーを知っている”選手であり、そういう選手を育てないといけない、もしくは外から連れてこないといけない。 戦術というものがどれほどチームの強さに影響するのかは難しい。私個人の意見としては、鹿島の勝ちに対する意識の高さにきっちりと戦術を整えればさらに強くなるのではと思っているのだが、もしかしたら戦術を整えることで失われることもあるのかもしれない。 戦術理解力に関して日本人は乏しいと外国人から指摘されることは少なくない。それはそうだ。戦術について多くの指導を受けていないのだから。だから、戦術などにより細かい約束事を多く求められると選手から造反されてしまうという例もある。だから、どちらかというと鹿島のようなチームを好む選手の方が多いのではないだろうか。他だと磐田(名波)や名古屋(風間)のようなチームだ。戦術に縛られず個人の考えたプレーを表現できる(それが正解なのか間違いなのかは置いておき)。 正直、鹿島が結果を出しているうちは戦術云々を言ったところで「でも、うちら結果出しているよ」という最強のマウントをとられてしまう。現在そこの壁を破壊する可能性が高いのが神戸なのだろう。神戸(他のクラブでもいい)がもし壁を壊した時に鹿島が新たな姿に変貌しようとするのかは非常に興味深い。変貌するかもしれないし、現状の戦い方をさらにアップデートすることで解決しようとするのかもしれない。もし、そうしたときにそれで解決できるのか?という疑問はあるが。 鹿島は日本サッカーを表すような存在であり、鹿島が変われば日本サッカーも変わるのではと思っている。 そういった意味でも、今後の鹿島の動向は注目していきたい。 それでは。