サイゼリヤ おいしいから売れるのではない 売れているのがおいしい料理だ

サイゼリヤ おいしいから売れるのではない 売れているのがおいしい料理だ (日経ビジネス人文庫)
サイゼリヤ おいしいから売れるのではない 売れているのがおいしい料理だ (日経ビジネス人文庫)

サッカーの本ばかりでは知識が偏るので、他ジャンルの本も読んでいる。

この本は、どちらかというとビジネス向けだが、どんな人が読んでも得るものはある本だと思う(読みやすいし)。

本の中で心にくる言葉があったので、引用させていただく(自分へのメモ的意味も含め)。

さて最後に、別の角度から人材育成について付け加えたい。自社が社員に十分な教育をしているかどうかは、ある日突然、自社が潰れても、従業員たちが、他社で今より、高い給料をもらって活躍できるだろうか、と想像してみることで分かると私は思う。

もしも、他社で十分な給料がもらえないと感じるなら、もらえるように知識と経験を与えることだ。他社でも通用するような人材に育つ人は、自社でもきっと大活躍してくれるだろう。(p177~178から抜粋)

これはサッカーの指導者にものすごく当てはまる言葉だと思った。

育成年代の選手を指導する場合、指導者は今でなく未来を見ていないといけない。

選手は今うまくなりたいし、今勝ちたい。

そんな気持ちを察しながらも、うまくコントロールしてどんなチームにいっても通用する、または適応できる選手に育てないといけない。

どんなに優秀な指導者であろうとも、選手との別れは必ずくる。

選手がサッカーを続けるかはわからないが、続けたときに新たなチームで通用できるかは非常に大事なことだ。

例えばジュニア年代では、恵まれた身体能力で通用しても、ジュニアユース年代に上がったら身体能力による差異がなくなり、途端に通用しなくなるという事例は少なくないと思う。

身体能力で優位になれなくなったときに何が残るか。

そこが指導者の大事なところだと思う。

長所があるのは大事。

しかし、それはドリブル”だけ”できればいいというわけではない、パス”だけ”できればいいということではない。

身体能力”だけ”でもダメなのだ。

長所は大事にしつつ、当たり前のことをしっかりと教える。

それが育成年代では大事なのだ。

それでは。