苦労とはするべきなのか?

(この記事は2019/09/20にnoteで書いた記事です) 「ねるちゃんのいない私たちを見てくれるの?」――アイデンティティーに思い悩んだ日向坂46の歩みと挑戦
「新人」と考えれば間違いなく快進撃を続ける日向坂46だが、その活躍が増えるたびに、「恵まれた環境にいるからこその結果」「苦労知らず」といった揶揄も目立つようになってきた。
なんというか日向坂の経緯を知らずに「苦労知らず」みたいなことを言う人は一切信頼できないのですが「苦労であったり辛いことは経験するべきだ!」みたいなのは日本では非常によくあることのように思う(外国でもあるのかな?)。 本当にそうなのか? そう思ったのはたぶん高校のときに全く効率的でないという部活の経験があるからなのだろう。今でも意味ある苦労だったとは思わない。 苦労や辛いことの経験の中身とは? 苦労や辛いことを経験したいのであれば、裸で都市を歩けばいい。多くの人に写真を撮られネットにアップされる。しかも、逮捕される。 でも、こんなことをほとんどの人はしませんよね?つまり、苦労や辛い経験といっても、その中身が大事だということを意識的にしろ無意識的にしろわかっているからです。 でも、裸で歩くほどでないにしろ、意味があるのかわからないが、とりあえず理不尽な状況にして、苦労や辛い経験をさせるというのは存在します。 たぶん、それを乗り越えれば、乗り越えたという経験が活きると思っているのでしょうが、その時間を他のことに使った方がよっぽどいいし、意味あることで自然と苦労をさせた方がいいのではないでしょうか。 苦労や辛い経験は意図的にさせるべきではないのではないか バルセロナグリーズマンアトレティコに入団した当時、シメオネの厳しいトレーニングに耐えれずに吐いたりしていたらしい。吐くまでトレーニングすることの是非はあるだろうが、シメオネは意味なく選手に負荷をかけるような監督ではないと思う(たぶん)。 アトレティコで試合に出るためには、このトレーニングの負荷に耐えれないと試合でのタスクをこなせない。試合に出るという目的のために、トレーニングについていくしかなかった。たぶん、当初は辛く、とても苦労したと思うが、別にこれはそういう経験をさせるためにしたわけではない。やりたいこと(やらなければならないこと)をやったそういう経験をしてしまったということ。 うまく伝わっているかはわからないが、結果的に苦労や辛い経験だったというのはいいが、最初からそういう経験をさせようという目的でのタスクであったりというのは違うんじゃないかなと思うのでした。 伝わったかな?(^^;) 終わり。